【デーモンコア】ハリー・ダウアンが起こした核開発事故の臨界状態

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【デーモンコア】ハリー・ダウアンが起こした核開発事故の臨界状態

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カーボンニュートラルが推し進められることで世界的なエネルギー不足が懸念されている中、原子力発電に再び注目が集まり欧州諸国では建設が計画されています。非常に優れたエネルギー供給源ですが、その取り扱いには厳重な注意が必要です。確かに原子爆弾によって破壊力、エネルギーなどは恐ろしさを持って証明されました。では、どれほどの影響力を人間に与えるものなのでしょうか。「TimeMachineMuseum」では今回、1945年の核開発中の起きたプルトニウム研究事故で有名な「デーモンコア」に注目します。


「デーモンコアとは」

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「デーモンコア」とは、事件事故をもとに付けられた通称で実際には「実験用プルトニウム」のです。1940年にアメリカのカリフォルニア大学の研究チームは新たな元素を発見することに成功しました。それが、「プルトニウム」です。名称の由来は冥王星の「プルート」から名付けられています。この新元素は1941年の論文で発表する予定となっていました。しかし、アメリカ政府によって「発見された新元素の発表は控えること」を指示されました。それには、なんと新元素である「プルトニウム」を軍事目的で利用することがあったためでした。つまり、この後に世界を震撼させることになる原子爆弾を開発するために新元素「プルトニウム」を利用することを考え、極秘情報としていたのです。そして、実際に核兵器のために「プルトニウム」は研究されて開発が進められることが決定したのです。実は、この時は第二次世界大戦中になっておりドイツが世界に先駆けて核開発を行っていました。その情報を入手していたアメリカは核兵器開発で後れを取るにはいかなかったのです。それで、アメリカは核兵器に搭載するための「プルトニウム」を極秘開発、研究を行っていきます。そして遂に生産まで行うことに成功します。それが、「リトルボーイ(ウラン235使用)」と「ファットマン(プルトニウム)」という核爆弾でした。これらの核爆弾が日本の広島と長崎にそれぞれ投下されたのです。この二つの核爆弾に加えて3つ目の予定の核爆弾は「プルトニウム」を使用するようになっていましたが、第二次世界大戦が終了し使用されることはありませんでした。しかし、この「プルトニウム」は平和のための研究材料として残り、名前に「ルーファス」と名付けられます。


「プルトニウム研究者ダウアンが起こした事故」

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1945年8月21日、アメリカのニューメキシコ州に「ロスアラモス研究所」という秘密研究所が存在し、そこで「ハリー・ダウアン」という男性が「プルトニウム」を研究していました。その研究というのは中性子反射体である「タングステンブロック」をプルトニウムの周囲に置き、その「タングステンブロック」を徐々に「プルトニウム」に近づけて臨界状態に到達するのかという距離と放射線量を研究していました。1945年8月21日の夕食後に「ハリー・ダウアン」は一人で研究所に戻り実験を行っていました。

「ハリー・ダウアン」がプルトニウム開発で行った実験は、「プルトニウム」の周りに「タングステンブロック」を置き、半球状の「タングステンブロック」をマイナスドライバーで徐々に近づけて放射線量などを測定していました。しかし、「ハリー・ダウアン」は「タングステンブロック」を「プルトニウム」の上に落してしまいます。すると、周りを覆われた「プルトニウム」は臨界状態に達した瞬間に青い光が研究室を覆いました。すぐに核分裂反応は始まり、大量の中性子線が放出されることとなりました。非常に危険な状況ですが、当時は「プルトニウム」を扱った研究は初期段階で知識や設備、扱い方などされてはいなかったのです。この実験で事故を起こした「ハリー・ダウアン」は、すぐに「ルーファス」が臨界状態になったことに気が付きます。しかし、避難するどころではな臨界状態にある「プルトニウム」のから離れることはありませんでした。自ら「プルトニウム」の臨界状態を止める努力を払いました。「ハリー・ダウアン」は、落下した「タングステンブロック」を取り除いてみましたが、臨界状態を警告する装置のアラームが鳴りやむことはなかったんです。そして周囲に設置した「タングステンブロック」を取り除いたときに臨界状態を止めることに成功します。臨界状態になって「ハリー・ダウアン」は2分以上もの間、プルトニウムの「ルーファス」から放出される中性子線を浴び続けてしまいます。なぜ非難しなかったのか、そこには理由がありました。実は以前に大量に放射線を浴びていた人について知っていたようです。以前に放射線事故が発生した場所に居合わせ、放射線を大量に浴びていた研究者が事故後も生存していたことを知っていたのです。そのために「ハリー・ダウアン」は臨界状態を止めようと研究室に留まっていたのです。この事故の時に「ハリー・ダウアン」が浴びた放射線の量は「バッヂ」という放射線量を測定する装置を身に着けていなかったために不明です。とはいうものの「ハリー・ダウアン」が所持していた物や検査結果などから5ジーベルト以上の放射線の量を浴びていたと推定されています。この「シーベルト」という単位は、人が受ける被ばく線量の単位を指しています。

「ハリー・ダウアン」は事故から数時間後に強い吐き気を感じ病院へ行きます。病院到着後にすぐに治療が開始されたものの、当時の医学では治療することが少なく限られていました。それから「ハリー・ダウアン」の容態は悪化の一途を辿り、家族が呼び出されてしまいます。この時に「ハリー・ダウアン」の妹は、被ばくした体を見て「ひどいやけどのような状態になっていた」のを見ていたようです。その後、医師による懸命の治療、さらに家族の介護が行われましたが「ハリー・ダウアン」は臨界事故から約25日後に亡くなってしまいました。亡くなるまでの間、痛みを止める麻酔薬の量が少なかったために「ハリー・ダウアン」は亡くなる間際まで意識を保っていたということです。これはおそらく脳という器官が他の臓器よりも脂肪の更新が遅いことが考えられています。


「シーベルトの単位と放射線の影響力」

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一般人が通常の生活をしている場合、自然に浴びる放射線量は一年間に約1ミリシーベルト程度とされています。胸部のX線撮影などでも0.1ミリシーベルト以下ということです。ですから「ハリー・ダウアン」が浴びた5シーベルトの放射線は、50%以上の確率で命に係わる疾患が起きるとされています。また白内障、吐き気、脱毛、出血、不妊、白血球の現象など様々な健康被害が起きると言われています。

放射線というのは、生き物の体を通り過ぎるときに、通り抜けた生物の遺伝子を破壊するのです。

生き物は体を構成する基本単位として細胞を用いています。この細胞といわれているものは、細胞分裂によって生じています。この細胞分裂をする際に遺伝子情報が複製されて「染色体」という細胞の設計図のようなものに載せられて、新しい細胞に受け渡されるのです。そのようにして体の細胞は次々と新しいもにに作り変えられていくため、人間の体は常に新しい状態を保つことができるようになっています。

しかし、一度の大量の放射線を浴びてしまうと、染色体がダメージを負ってしまうことになります。

染色体は細胞の設計図のようなもの。これに異常が起きてしまうと、これまでのように正常な細胞を新しく作ることはできません。そのために被爆当時よりも時間が経過したほうが正常な細胞が作られていかないために皮膚や内臓といった細胞の入れ替わりが早い組織から異常が見られてきます。

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管理人:TMM

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未来に残したい、繋げたいをテーマに日々を過ごすことに夢中。そのテーマに自然界、歴史、科学、教育など、あらゆる方面から未来と過去を行き来出来たら、現在どうなっているか、これから先どうなるのか気になることが多く、今更ながら様々な分野を勉強中。