【信/李信】キングダム主人公の将軍に至るまでの経緯と年表を解説

この記事は6分で読めます

目次

【信/李信】キングダム主人公の将軍に至るまでの経緯と年表を解説

あわせて読みたい記事:【五条健児】キングダムの龐煖(ほうけん)役として圧倒的な存在感

あわせて読みたい記事:【どうする家康】徳川四天王の山田裕貴・大森南朋・板垣李光人・杉野遥亮がコメント

あわせて読みたい記事:【野村萬斎】どうする家康で演じた今川義元と桶狭間の戦いをコメント

新作が期待されている映画、「キングダム」。振り返ると2019年にシリーズ一作目が公開されましたが、公開されると興行収入は公開された実写邦画作品の中で1位を獲得しました。それから3年後、「キングダム2 遥かなる大地へ」が公開され前作を超える圧倒的な映像体験で数多くの驚きをもたらして再び大ヒットを記録しました。興行収入はやはりその年の邦画実写作品の中で1位を記録して、なんとシリーズ累計では100億円をすぐに突破しました。

そして前作に続いて、今年2023年の夏に新作の「キングダム3 運命の炎」が劇場公開されます。やはり注目は主人公の秦国の飛信隊の体調である「信(しん)」の活躍です。そこで今回の「TimeMachineMuseum」では、「信」のキャラクターや李信と名乗るようになった理由、背景などを年代ごとに注目したいと思います。


「信(しん)のプロフィール」

  • 名前:李信/信(しん)
  • 武力:93+大α
  • 知力:76
  • 指揮力:88
  • 経験値:A
  • 夢:下僕の身分から天下の大将軍

「キングダムの信(李信)の概要」

あわせて読みたい記事:【羌瘣きょうかい】キングダムの巫舞能力の秘密や目標達成について

概要:秦国の将軍で、「信」を隊長とする飛信隊と副長の「羌瘣(きょうかい)」が隊長の2つの部隊を合わせた大部隊を率いている武将。武器は、亡くなった親友の「漂(ひょう)」から受け継いだ剣と、「王騎(おうき)」から託された矛、「ヒョウコウ」から託された大盾。本能型の武将。得意とする戦術は、一騎打ちで幾人もの名だたる武将を討ち取りました。秦国の王「嬴政(えいせい)」の身代わりとなった「漂」が死に際に託した地図に記された場所に向かい、「嬴政」と出会いました。その後、王弟の反乱の鎮圧するため「嬴政」と行動をともにし多くの戦いで、大王「嬴政」の危機を救っていきます。そして、「戦を無くすために、中華を統一する」という「嬴政」の夢を叶えるため、その金剛の剣として戦いを続けていきます。

大将軍の夢を追いかけて戦い続ける「信」に対して大将軍になるための確かな道を示した存在が「王騎(おうき)」でした。その「王騎」に素質を見込まれた「信」は、臨終の際に「王騎」から直々に愛用していた大矛を託されました。その時から「信」は、大矛を使いこなすための特訓を密かに続けていました。そして、趙の鄴攻略以降は、この大矛がメインの武器となります。そして、朱海平原では「王騎」を討った「龐煖(ほうけん)」と三度目の一騎打ちに挑み、勝利しました。この時の勝算は、「信」の最大の武器である、仲間の想いを力に変えて戦うことでした。


「信の最大最強の武器とは」

あわせて読みたい記事:【羌象/きょうしょう】山本千尋が羌瘣に全てを教えた蚩尤族を演じる

「信」は、下僕の身分から始まり、蛇甘平原で初陣を飾ってから10年たらずで将軍になっています。「龐煖」を討ち倒す「信」の個の武力も大きいですが、他にも関係していることが多くあります。飛信隊が結成されてから「羌瘣」や「河了貂」などの能力に恵まれたことも要因です。そして、仲間たちが命をかけて戦おうと思える結束力を「信」の人柄が生み出していることも大きなことです。また、「王賁」や「蒙恬」といった有望な将校が同世代におり、切磋琢磨することで成長も早くなっています。


「キングダムの年表解説から信の武功の活躍を知る」

あわせて読みたい記事:【漂/ひょう】キングダムの中のキャラクター設定経緯と史実を比較

紀元前259-258年頃に誕生し、生まれてすぐに戦争孤児となってしまいます。そのため親の顔も知らない状況で育ちます。

紀元前249年頃の10歳の時に「漂(ひょう)」と出会う。この頃、秦国の蒙驁将軍が韓の城を落としています。この話題に2人は興奮し、いずれは自分たちも大将軍になると決意を新たに「漂」と修行に励む。

紀元前245年頃、14歳の時に王弟の反乱が起き、親友の「漂」が巻き込まれてしまいます。そして、「漂」は刺客によって命を落としてしまいます。その後、「漂」と見間違えるほど、そっくりな秦国の王「嬴政(えいせい)」に出会います。そして、「嬴政」に協力することで立身出世のきっかけを作り、行動を共にするようになります。そして、「嬴政」と王都の咸陽に向かう最中、暗殺者の「徐完」、「ムタ」を倒します。その後、山民族の王である「楊端和」に会い、助力を得ることに成功。そして、王都の咸陽で初めて本格的な戦場を経験します。先陣を切って城門を開放し、将の「左慈」、怪物級の「ランカイ」など難敵を討ち、武功を挙げて、奴隷から平民の身分を取得しました。さらに紀元前245年は、蛇甘平原(だかん)の戦いに初陣。この戦いには、「ヒョウコウ」将軍のヒョウコウ軍の一員として「魏」との大戦に参戦します。そして、「魏」の戦車隊を機転によって攻略して武功を挙げました。また、この戦いの途中から騎馬して、「黄離弦」、「麻鬼」を討ち倒しました。これらの功績から100人将となります。


「飛信隊はどのように誕生したのか」

あわせて読みたい記事:【龐煖/ほうけん】キングダムと史実の実在ではキャラクターが違う

紀元前244年、「信」が15歳の時に「馬陽」での戦いに参戦。侵攻してきた「趙」を迎撃する「王騎」の軍に百人隊の隊長として従軍。「王騎」から受けた試練で隊を率いることにも慣れて、将としての頭角を現しつつありました。そして、「王騎」から「信」が率いる部隊に対して「飛信隊」という名前を与えられます。「馬陽」での戦いでは、機動力を活かして敵陣に接近して敵将の「馮忌」を討ちました。


「馬陽の戦いで将軍の見る景色を王騎と共有する」

あわせて読みたい記事:【龐煖ほうけん】キングダム作者が語る武神キャラ設定への思いとは

飛信隊の野営地を敵将であり、自称武神となのる「龐煖」が現れ急襲。これによって配下の伍長らが命を落とします。深手を負った飛信隊は、退却。その道中では、旧友の「尾到」と死別。その後、「龐煖」は「王騎」と対決するべく戦場に現れます。「王騎」は「龐煖」との戦いで致命傷を負い瀕死状態になります。この後「信」は、「王騎」と馬上を共にして、将軍の見る景色を共有します。それから「信」は「王騎」を乗せたまま趙軍の包囲を突破。しかしながら「王騎」の命は風前の灯火となります。この時に「信」は「王騎」から将軍の資質を認められています。そして趙軍は、「王騎」を討ったことで退却。対して「信」は、「王騎」を失った喪失感と託された想いを背負って帰路につきました。この「馬陽」での戦いで「信」は、「馮忌」と「魏加」を討ち倒しました。


「大将軍の一撃を受け止め歴史を塗り替える英雄へと決意」

あわせて読みたい記事:【キングダム】龐煖(ほうけん)は、なぜ武神となり無敵キャラなのか

紀元前243年、趙軍との戦いの武功から三百人将の隊長に昇格します。また秦趙同盟が結ばれて、魏との戦いが本格的になります。遊軍として戦いでは前線での戦いが続きます。そして、この頃に飛信隊と同規模の部隊を率いる武将の「王賁」と「蒙恬」と出会っています。

紀元前242年、17歳の「信」は、魏との「山陽の戦い」に参戦。この戦いでは「蒙驁」の軍の前線部隊として活躍。途中で攻め落とした「高狼城」で略奪行為を行なっていた秦軍を目にして激怒し味方の千人将を斬ってしまう。しかしながら、「蒙恬」の根回しによって厳罰を免れています。そして、山陽戦の開戦後、栄備軍の第二陣として魏軍に突撃。自軍が苦戦する中、臨時千人将となった「信」は、一点集中の戦術で奮闘し軍の士気を高めました。また「蒙恬」の楽華隊と「王賁」の玉鳳隊と共闘しますが戦術は、楽華隊が潰れ役、その隙を突いて飛信隊と玉鳳隊が敵将の「輪虎」と一騎打ちに挑み、討ち取りました。その後、秦軍の本陣において「蒙驁」と一騎打ちしている敵将の「廉頗」に「輪虎」を討ち取ったことを伝えると「廉頗」からの大将軍の強烈な一撃を受ける。さらに「王騎」の散り際を伝えます。中華統一で歴史を塗り替えることで「廉頗」らかつての英雄を超えた証にすると大将軍に啖呵を切ります。戦いは、秦の将軍「桓騎」が、魏の本陣を陥落させたことで、「蒙驁」と「廉頗」が和睦し、秦軍の勝利で戦いは終戦を迎えました。


「合従軍戦で嬴政の器の大きさを知る」

あわせて読みたい記事:【キングダム】きょうかい役が変更された清野菜名と山本千尋の理由

紀元前241年の18歳頃、秦国に趙の「李牧」が興した合従軍が襲来。この戦いに「ヒョウコウ」の軍配下として参戦すると、敵将の「慶舎」の策で背後を突かれたヒョウコウ軍を救うため、自軍を逆走し、後方の兵を纏めて反撃しました。その後、敵将の「万極」の軍と対戦。長平の孤児で結成された軍の姿を見て、乱世を終わらせるという「嬴政」の想いを重く受け止めました。秦の函谷関は守ったものの、「李牧」が率いる別働隊が南道から咸陽に進軍。このことを察知した「ヒョウコウ」将軍が向かうものの、途中で「龐煖」によって討たれてしまいます。「信」たちは、敗走して「蕞」の攻防戦に向かいます。ここは、秦国の最終攻防戦。なんとここで、自ら出陣してきた「嬴政」と再会。「嬴政」は、蕞の民たちを励まし、民兵を立ち上がらせます。「信」は、「嬴政」の姿を見て王の器の大きさを実感して戦いに挑みます。7日に及ぶ攻防戦でしたが、絶望感に満ちたその時、山の民が援軍として到着して一気に形成逆転します。そして、「信」は敵軍の中に「龐煖」を見つけ一騎打ちを挑みます。数々の想いを背にして踏み込んだ一撃が「龐煖」に傷を負わせました。「信」の名前は、「龐煖」に深く刻まれることになりました。


「相次ぐ反乱に対処した20歳の信」

あわせて読みたい記事:【紫夏/しか】杏がキングダムの闇商人役で吉沢亮と名シーンを熱演

紀元前239年、「信」は20歳となります。屯留で乱が起きたために「嬴政」の密命で鎮圧に向かいます。「信」は、武器を剣から矛に変更しています。反乱の鎮圧には成功しますが、王弟の「成蟜(せいきょう)」の救援は達成出来ませんでした。その後、魏の要所である著雍の攻略に五千人部隊の将として参戦。「王賁」が提案した三軍同時侵攻の主攻の一部隊として、魏火龍七師の「凱孟」と対戦。「河了貂」の策と「隆国」の助力で「凱孟」を退ける。そして先行していた「羌瘣」が魏軍本陣を陥落させて戦いに勝利しました。「信」は、陣を抜け出していた敵将「呉鳳明」を追撃。その際に魏火龍の「霊凰」を討ち取り、武功を挙げました。これによって五千人将に昇格。紀元前238年。「嫪あい(ろうあい)」によるアイコクの反乱。鎮圧するために蕞に駐留していた一万の軍と共に咸陽に向かいます。初の水上行軍。王都の咸陽に到着すると、蕞の民兵を鼓舞して王宮へ行き、「嬴政」の子供の救出に成功。


「王騎の大矛を手に六代将軍復活に意気込む信」

あわせて読みたい記事:【羌瘣きょうかい】キングダムのキャラ設定経緯と史実を照合した結果

紀元前237年、「信」は「嬴政」から六代将軍復活の計画を知らされる。そして、趙の黒羊丘攻めに参戦。「桓騎」の軍に組み込まれた「信」は、「桓騎」に対して拒絶反応を起こす。飛信隊は、右翼を任されるものの趙軍の策によって進軍が遅れてしまいます。しかしながら、無謀にも渡河を試み、苦戦しながらも成功させ中央丘の右側に陣取ることに成功します。その後、「桓騎」の策にハマった敵将の「慶舎」を「信」は部隊を率いて本陣を突き、「慶舎」との一騎打ちを制して討ち取り武功を挙げました。この黒羊丘の戦いの後、「桓騎」の軍から「那貴」が飛信隊に移籍し、弓兵の蒼兄弟が部隊に加入、さらに過酷な試験を合格した千人が入隊して飛信隊は強化されます。

紀元前236年になると、秦国は趙国の西部へ侵攻を開始します。「昌平君」は奇策によって趙国の第二の都市である鄴攻めに飛信隊を組み込みます。戦いの後に将軍となれるよう、戦略の鍵を握る独立遊軍として功績を残すことを誓います。そして、出陣の前に「嬴政」に預けていた「王騎」の矛を受け取り、矛に相応しい将となることを決意します。


「信が李信と名乗るようになった理由とは」

あわせて読みたい記事:【漂/ひょう】キングダムの中のキャラクター設定経緯と史実を比較

将軍の「王翦」の指示により、飛信隊と「楊端和」の軍で趙軍の列尾城を攻略。そして、「王翦」の本陣と朱海平原で「李牧」の軍を迎え撃ちます。敵将の「尭雲」、「趙峩龍」、「岳嬰」、「馬南慈」らの軍によって秦軍の右翼は苦戦。飛信隊は全軍の八千人で救援。本能型の「尭雲」と対峙。また「岳嬰」とも交戦して一撃で沈め敵軍の反撃の意志をも沈めました。その後、「王賁」が倒れたために秦右翼全軍の大将となります。しかしながら、「信」は勝利のために仲間の犠牲を顧みない戦いを強いられ、飛信隊の戦友である「松左」を失ってしまいます。こうした戦いで命を落とした仲間たちの想いを乗せて、「趙峩龍」を討ち取ります。そして、「信」は「李牧」の本陣へ攻撃を仕掛けるものの、趙三大天の「龐煖」が立ちはだかります。「信」と「龐煖」は死闘を繰り広げ、「王騎」、「ヒョウコウ」、「飛信隊の仲間たち」、戦場に散っていった仲間の想いを束ねた刃で「龐煖」を討ち取ります。これによって趙本軍は退却します。

その後、「信」は鄴攻略を成し遂げて、秦国の王都、咸陽に凱旋します。そこで論功行賞でか王賁」、「蒙恬」、「信」は将軍へと昇格します。さらに「李」の姓をもらい名前を「李信」に改めました。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

管理人:TMM

管理人:TMM

未来に残したい、繋げたいをテーマに日々を過ごすことに夢中。そのテーマに自然界、歴史、科学、教育など、あらゆる方面から未来と過去を行き来出来たら、現在どうなっているか、これから先どうなるのか気になることが多く、今更ながら様々な分野を勉強中。