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【謄/とう】キングダムは中華なのにアジア系ではない将軍なのか?
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新作が期待されている映画、「キングダム」。振り返ると2019年にシリーズ一作目が公開されましたが、公開されると興行収入は公開された実写邦画作品の中で1位を獲得しました。それから3年後、「キングダム2 遥かなる大地へ」が公開され前作を超える圧倒的な映像体験で数多くの驚きをもたらして再び大ヒットを記録しました。興行収入はやはりその年の邦画実写作品の中で1位を記録して、なんとシリーズ累計では100億円をすぐに突破しました。
そして前作に続いて、今年2023年の夏に新作の「キングダム3 運命の炎」が劇場公開されます。そのキングダムで圧倒的な存在感の「王騎(おうき)」に隠れがちなキャラクターもいます。それが、秦国の武将で王騎軍の副官として活躍した「謄」です。しかし、その実力は「王騎」のお墨付きでした。そこで今回の「TimeMachineMuseum」では、キングダムの陰の実力者「謄」について注目したいと思います。
「謄のプロフィール」
- 武力:96
- 知力:94
- 指揮力:95
- 経験値:S
- 王騎と同レベルの武将
「なぜキングダムの謄はアジア系ではないのか?」
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独特の外見と無表情。しかし、見た目ては裏腹に性格は意外にもお茶目。武力は、凄まじい剣術による攻撃力を持つ。秦国の六大将軍の一角を担う特異な存在として登場しています。
非常に濃いキャラクター性ですが、謄は史実にも記述されている、武将です。「史記」の中には「内史謄」の文字です。この内史とは、首都および近辺の県を警備する役職のことです。これは、おそらく韓から譲られた土地である南陽を守るために武将の「謄」が統治者として入ったということと思われます。
また史実の「謄」も武将としての実力が高い者として記述されています。紀元前230年、韓に侵攻して韓王安を捕らえています。この「謄」による侵攻によって韓は滅亡しています。そして、これがきっかけとなり秦国の中華統一の一歩が始まりました。
原作のキングダムに「謄」は、外見がアジアっぽくないところが、まず印象的に残るかもしれません。白人系の外見と言えるかもしれません。
実は、最近の研究によって、春秋戦国時代の遺骨から採取したミトコンドリアDNAを調べたところ、欧州の人類集団ともっとも近かったことが判明しました。
後の前漢末期の遺骨から採取したものは、中央アジアと高い親和性を示したそうなので、古代中国人は白人としてイコールにはなりませんが、古代、中国に多種多様な人種が入り込んでいた事は間違いないということです。
「謄」のような西洋人のような顔立ちの人物もいたと言う可能性は高いといえます。
原作のキングダムの「謄」は、38巻406話で秦国の大将軍となりました。王騎軍の仲間の「隆国」や「録鳴味」からは、「当人が引き受けたことの方が軽く驚きだ」と原作の38巻406話で言われています。
「嬴政」が加冠の儀を終えれば、中華に再び戦乱の嵐が来ることがわかっていたのか、中華統一は「王騎」が「嬴政」と結んだ夢でもありました。それで「謄」は、亡き主君の「王騎」の思いも背負うつもりなのかもしれません。
というわけで、「謄」の外見が白人系で西洋人っぽいというのは、当時の秦国では珍しくなかったということです。
「大将軍として謄は嬴政に忠誠を示す」
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かつての大将軍である「王騎(おうき)」の王騎軍の中では、一番の古参の武将とされており、「王騎」の副官として活躍。「謄」の率いる騎馬隊は、王騎軍の中でも最強の隊とされています。「謄」自身の性格は、掴みどころのない性格のため、真意を測りかねる言動が多い場面が描かれています。
さらに知力に関しては、戦の知識以外も豊富です。これは、合従軍の戦いにおいて、楚の軍勢が用いていた象のことも知っていたことからも明らかです。
武力の強さは計り知れないものがあり、戦いにおいて未だに底を見せていません。実際、この件については、趙国との戦いで「謄」が騎馬隊を率いて敵陣を突破する姿を見て、敵の「趙荘(ちょうそう)」も強烈な衝撃を受けていました。
「龐煖(ほうけん)」との一騎打ちで「王騎」が、矛で貫かれた時には間に割って入り、「信(しん)」を使って活路を開かせました。その後、死を目前にした「王騎」から「隆国(りゅうこく)」を証人として、王騎軍を委ねられました。この時の騰の表情は、冷静ながらも、力強く組んだ手は、かすかに震えて、手の甲に血を滲ませていました。
そして、王騎軍を率いることになった「謄」は、「隆国」を参謀に迎えて、王騎が持っていた独身の情報網もそのまま引き継いでいます。
紀元前241年には、合従軍戦に参戦しています。「同金(どうきん)」、「鱗坊(りんぼう)」を倒した楚軍の「臨武君(りんぶくん)」と一騎打ちになります。この戦いに勝利して大将軍として変貌しつつあることが明らかになりました。
その後、著雍に侵攻した際にも敵軍の動きから本陣に「呉鳳明(ごほうめい)」がいることを察して、飛信隊を含めた味方の部隊を著雍へと呼び出します。
「王賁(おうほん)」の作戦で、注目される自軍をあえて助力にして、飛信隊、玉鳳隊、録鳴味軍を主攻にした戦いで攻略に成功しました。
この著雍の戦い、築城、防衛戦の功によって秦ので二人目の大将軍に任命されました。
「謄の実力と剣術のポテンシャル」
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特殊な音を鳴り響かせて刃を回転させながら敵を切り刻む剣技を得意として、騎馬での突破力に活かしています。趙国の鄴の陥落後、戦わすして列尾城を奪い一帯を固めて、趙王都圏の出入り口を秦国のものとしました。その後のジュウ虎攻めの際には、80000の敵軍に対して、録鳴味軍10000と自軍10000の軍で進撃し、楚軍の本陣を急襲して陥落させました。そして、本陣の軍師の「寿胡王(じゅこおう)」を無傷で捕らえて捕虜にしました。ジュウ虎軍や「満羽(まんう)」のことについての情報を引き出しました。
紀元前234年、三代前の秦国の王「昭王(しょうおう)」が、作った「六大将軍」制度が復活すると、「蒙武(もうぶ)」、「王翦(おうせん)」、「楊端和(ようたんわ)」、「桓騎(かんき)」らと共に招集されました。そして、その第二将に任命されました。この六大将軍には迅速に戦いを展開するために「戦争の自由」が許される。しかし、虐殺や反乱を侵す将軍が出た際には抹殺すると「謄」は語り、「嬴政(えいせい)」の目標である中華統一への道を進めました。
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