【ウクライナ・チェルノブイリ原発】事故の原因と影響や現在の状況

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【ウクライナ・チェルノブイリ原発】事故の原因と影響や現在の状況

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環境汚染、環境破壊が進み世界中で持続再生可能エネルギーに注目が集まり各国が取り組んでいるのが国連が勧めている17項目の取り組みSDGs。それでも、SDGsの取り組みは良いことかもしれないが現在の技術で実現できるのか不安が残ることも事実です。とりわけ自動車は電気自動車へと急激に移行が勧められており、電気エネルギーの問題が話題です。そこで今回は、電力供給の発電システム最も有名なマシンともいえる「チェルノブイリ原子力発電所」に注目してみましょう。1986年に大きな事故となり現在では、ロシア侵攻によってメディアでも取り上げられており再度注目されている場所です。


「チェルノブイリ原子力発電所」

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旧ソビエト連邦のチェルノブイリ近郊のプリチャピという都市にありました。1971年から建設が始まり、1978年に営業を開始しました。世界で初めて人工的に原子炉で核分裂を起こし、そのエネルギーを発電に使用し始めたのが1951年ごろ。そして1970年代はオイルショックが起きてしまい石油資源に頼っていた世界のエネルギー事情が見直されることとなりました。日本でもトイレットペーパーの買い占めが日本中でも起こったことは時々取り上げられることです。自動車業界も排気ガス規制が叫ばれて大幅にエンジンパワーダウンなどによってスポーツ仕様の車は軒並み絶滅していった時代でした。世界は、このオイルショックに伴って本格的に原子力発電所の建設や設置が進んでいった時代背景がありました。


「チェルノブイリ原発事故」

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1986年4月26日に「チェルノブイリ原子力発電所」は事故を起こしてしまいます。「チェルノブイリ原子力発電所」には、合計6つの原子炉が設置されており、そのうちの一つ「第四号炉」は保守点検のために事故前日から運転休止作業を行っていました。しかし、4月26日の午前1時23分頃に「第四号炉」から突然大爆発が起きました。その当時のことは目撃者によれば、「夜空に花火が上がったように第四号炉と建屋は一瞬で吹き飛ばされ炎が空に舞い上がった」ということです。この大爆発によって大量の放射性物質が大気中に放出されてしまったのです。さらに大爆発に伴って火災も発生。消防が駆け付け消火活動を行ったものの消火には約4時間もの時間を要しました。加えて、放出された大量の放射性物質によって周囲一帯は、すべて汚染されてしまいました。その汚染物質である放射性物質の量は14エクサベクトルとも言われています。このベクレルという単位が大きいほど、その物質からは沢山の放射性物質が出ていることを意味しています。そして、放出された放射性物質のうち主な物質は「ヨウ素131」というもの。これは、半減期が八日目という短期的なものではありましたが、これと同時に「セシウム137」という半減期が30年もある物質も放出されていたのです。この「セシウム137」で地表が汚染されてしまうと、そこから放出される「ガンマ線」によって人間にも外部被ばくをもたらし、農作物に移行すれば、それを食べてしまうと内部被ばくしてしまうというものでした。火災自体は消防隊によって鎮火したものの「第四号炉」では溶解した燃料と黒鉛が赤く燃え続けていたということです。そのために原子炉内の火災を消化するためにヘリコプターによる砂の投下を行いました。また、それと同時に水蒸気爆発を防ぐために圧力抑制プールに溜まった水を排出、さらに、これ以上の放射線が外部に漏れることを防ぐために2000トンの鉛を投下する作業も行いました。ちなみに、この応急処置の効果には疑問が残っているようです。そして、現場では翌日となる4月27日に近隣住民の強制避難が行われました。しかし、事故発生当初は一般人に対して放射性物質の危険性、どの程度の汚染が起きていたかなどの詳細な情報は伝えられていませんでした。そのため事故現場周辺の一般人は事故から36時間もの間いつも通りの生活を送っていたのです。このことは当局が隠蔽する思惑があったためと思われます。実際、この「チェルノブイリ原子力発電所」の事故についての議事録などが公開されたのは6年以上たってからでした。「チェルノブイリ原子力発電所」から30キロ圏内の住民は約11万人とされており全て強制的に避難させられ、しかも帰還する見込みは不明でした。この事故から二日後、スウェーデン政府が情報を得て全世界に「チェルノブイリ原子力発電所」で事故が起きたことが報じられました。その後、ソビエト連邦当局の報告書では「事態は5月6日の時点で完全に終息した。」とされていました。しかし、実際には爆発の際に放出された大量の放射性物質が風に乗って地球の北半球全域に拡散していたのでした。日本では5月6日に降った雨から放射能を観測したという記録があります。そして、チェルノブイリでは6月に入るとソビエト連邦当局が原子炉の建屋ごと分厚いコンクリートで覆い囲む「石棺」の建設を開始しました。これには産業用ロボットを使用し遠隔操作で建設が着工されました。それでも全ての作業をロボットが行えるわけではなく手作業で行われた工程もありました。それには、現場にとどまる時間が非常に少ないということもある中、80万人、軍隊をはじめ大量の作業員がソビエト連邦各地から動員されました。この時、最も被ばく線量が多かったのは若い兵士たちだったということです。なんと放射線測定器も携行せず作業にあたっていたようです。約5か月にわたって作業が行われ「第四号炉」の石棺工事は完了しました。このころ事故当時の現場付近に近づいた原発の職員や消防士など約200名に体調の変化が現れ始め放射線被ばくによる急性障害により31人が亡くなっています。そして、この被害状況は内密処理されてベルリンの壁が崩壊する1989年になるまで公表されることはありませんでした。実際の被害としては事故現場に居合わせた職員約2000名、除染作業、石棺建設作業員80万人、汚染地域住民である約600万人が被災していたのでした。この事故の規模はIAEA(国際原子力機関)の評価基準で最高レベルの「7」と評価されています。これは2011年3月に起きた福島原発事故と同じ評価です。しかし、構造的なことや対処の仕方、放射線放出量など比較することはできません。

  • 1:逸脱
  • 2:異常事象
  • 3:重大異常事象
  • 4:事業所外への大きなリスクを伴わない事故
  • 5:事業所外へのリスクを伴う事故
  • 6:大事故
  • 7:深刻な事故

その後。1990年代に入るとチェルノブイリ近郊の地域では小児甲状腺ガンが急増しはじめたという報告もあるようです。当時においては世界平均の100倍を超えるガンの発生率となっていました。またベラルーシ科学アカデミーの報告によれば、汚染地域での内分泌系疾患、造血系疾患、赤ちゃんの先天性異常などの発生率が諸外国の平均をはるかに上回っているというものでした。チェルノブイリ原発から300キロ離れた地域でも高レベルの汚染が確認されており、WHOの推計によれば、汚染による犠牲者数は9000人以上とされているようです。しかし、放射性被ばくやガン、白血病などと事故の因果関係を証明するものはなく全ての人に補償や手当が行き届いたわけではありません。


「チェルノブイリ原発事故の原因」

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この「チェルノブイリ原子力発電所」の事故の原因は「第四号炉」で行っていた実験によるものでした。しかも事故を想定した実験でした。

原発内で事故→発電ストップ→停電→循環ポンプの電源が失われる→水が流れなくなる→冷却機能ストップ→残った水が燃料棒の熱で蒸発→水が0→燃料棒の温度上昇→溶ける(メルトダウン)→この事故の流れを防ぐための停電時において水を循環させるために予備の発電装置の作動→予備の発電装置の故障

上記の事故を想定した実験だったのです。そして、これらの対策案が原発が停止したとしても残った上記でタービンが回転するために、その際に発電する電気を循環ポンプに使用するというものでした。しかし、事故の対策として予備発電機以外にも「緊急炉心冷却装置」という原子炉の運転を停止させるために大量の水を注入するという装置が設置されていました。しかし、実験を行う際に「緊急炉心冷却装置」が作動すると実験ができないということで実験前に「緊急炉心冷却装置」は取り外されていたのでした。そして、実験の際には原子炉の給水量を減らし、制御棒を複数取り出しています。その数秒後に炉の出力が規格の100倍に急激に上昇。制御棒を元に戻そうとしたものの引っかかって先端までしか戻すことができませんでした。そして、制御棒は高熱になり、熱で溶けたウラン燃料が冷却水に接触し水蒸気爆発を起こしてしまいます。このウラン燃料ですが原発で使用するウラン燃料は一部がプルトニウムに変化するものです。そして、このプルトニウムという物資は核兵器の材料として使用されています。チェルノブイリ原発でもプルトニウムを取り出して兵器に転用しようとしていました。チェルノブイリ原発では燃料棒を「黒鉛」で取り囲んだ「黒鉛型」と言われるものでした。この「黒鉛型」と言われているタイプは、プルトニウムを取り出しやすいように設計されており、運転中であっても燃料棒を抜き取ってプルトニウムを取り出すことが可能となっていました。そのために実験が可能となっていたわけですが、実験の際には燃料を含む合金の菅が加熱され、蒸気と化学反応を起こして出来た水素が爆発。これらの一連の爆発によって炉心は全て溶けてしまったのです。事故後の調査では制御棒自体にも設計ミスがあったことが明らかになりました。制御棒というものは、中性子を吸収するものでしたがチェルノブイリ原発の制御棒は先端に核分裂を促進させる材料が使用されていたのです。この核分裂を促進させる制御棒の先端部分だけを原子炉に戻してしまい核分裂が急激に進み事故が起こってしまったのです。つまり、この「チェルノブイリ原子力発電所」の事故は規則違反と設計ミスなど杜撰な管理体制によって引き起こされたものだったのです。


「チェルノブイリ原発の事故後の現在」

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2017年に45か国が設立した特別基金により、外側から新しいアーチ形のシェルターを被せるという計画が立てられ2019年に正式に稼働するようになっています。総工費は1830億円とされています。しかし、放射性半減期の30年以上が過ぎた現在も内部の燃料などをどうするかといった具体的な計画は立てられていません。しかし、2010年にウクライナ政府は正式に「チェルノブイリ原子力発電所」周辺への立ち入り禁止を解除しています。このことは「チェルノブイリ原子力発電所」周辺の放射線レベルが低くなったと発表されたためであり、無人となっていることから自然が増えた地域へのツアーなども行われています。2019年の時点で10万人以上の訪れているということです。

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未来に残したい、繋げたいをテーマに日々を過ごすことに夢中。そのテーマに自然界、歴史、科学、教育など、あらゆる方面から未来と過去を行き来出来たら、現在どうなっているか、これから先どうなるのか気になることが多く、今更ながら様々な分野を勉強中。